選択

「慎二、映画の券をもらって、二枚あるから行かないか?」

 そう言われて「本当に?! 嬉しい! ありがとう!」なんて言う奴は馬鹿だ。今時そんな奴いるわけがない。(たまたま二枚持ってるなんてあるわけないだろ。わざわざ買ってきたんだな、こいつ)と思うのが普通の反応だろう。
 映画の券なんてそうそう他人から貰う物でもないし、二枚も他人にやる奴なんて余程の変人だ。
「はいはい、そういうことにしといてやるよ。で、なに?」
 だから、優しい僕はそう言って衛宮の渡してきたチケットを受け取った。
 放課後の教室は、珍しく誰一人残っておらずやけに静かだった。夕日が彼を照らし、なんだか落ち着かなくなる。
 チケットを見つめながら、小さく息を吐く。まあ、別に、嬉しくないわけでもなかったし。
 その何気ない(ように見せている)誘いは、なんていったってこいつと僕が付き合ってから初めてのお誘いだったからである。


 どうして僕が衛宮なんかと付き合っているのか、と聞かれれば僕だってその理由を知りたいぐらい不思議な話であった。
 聖杯戦争が終わった後、日常に戻るまでの時間は苦痛で、僕は何をしたら良いのかが全くわからなかった。今までいつか魔術が使えるかもしれない。という一心で生きてきたというのに、それを粉々に打ち砕かれた上に、唯一の友人だと思っていた一般人が魔術を使って敵対してきたのだ。
 わけがわからなかった。


「慎二、ホラー好きか? 俺はよくわかんないけど、ほら。今流行ってるらしい」
 ぼんやりしていると、衛宮はそう言いながらチケットを覗き込んできた。
 一瞬その近さにどきりとして、そのどきりとした自分に嫌気がする。なんで僕が衛宮相手にドキドキしなきゃいけないんだよ。
「まあ、別に嫌いじゃないけど」
 嘘だった。
 作り物の恐怖なんてバカらしくて仕方がない。そんなものより僕の家の方が数億倍怖いぞ。そんなことを思いながら、でもまあ、初デートにホラー映画を選ぶのはなかなかいい線いってるじゃないか。とも思う。
 映画をデートに選ぶのはいかにも「僕はプランニングが下手くそで時間を潰す術も楽しませる術も知りません」と言うようなチョイスではあるが、ホラー映画。それも流行りでそこまで怖すぎないもの。というのはなかなかいい。
 彼女が怖かった。と彼氏に甘える理由を自然に与えることができるし、びっくりポイントで手を握ってもあざとすぎない。
 まあ、問題は僕が女じゃなくて男だってところだけど。


「慎二、実家に帰るのか?」
 これは、退院した時真っ先に衛宮から聞かれたことである。
 何を言ってるんだこいつは。と思い、すぐに意図を理解して顔を歪めた。嫌な奴だ。意地が悪い。
「まあね。あそこしか帰るところはないし」
「……そうか」
 その悔しそうな、悲しそうな顔にまた腹が立つ。じゃあお前がどうにかしてくれるのか? なあ、色んな奴を救ったように。僕も救ってくれるのか?
 そうやけくそ気味に思っていたときである。
 目の前の衛宮は、その悲しそうな顔をすぐに引っ込めて今度は迷っているような顔を一瞬見せた。それから、何度か逡巡して口を開き、とんでもないことを言った。
「慎二、こんなこと言われてもその、タイミングが悪いって怒られそうだけど、ごめん、俺、お前の事が好きみたいだ」


「衛宮、流行りとかわかんないだろ。お前こそよくわかんないのにいいのかよ」
「ああ、慎二が楽しめるならいい」
 そう言って衛宮は照れたようにへらりと笑った。ここで、照れて笑うのはずるい。こいつはこういうことを全部天然でやるから嫌な奴なのだ。
「ほらしかもここの映画館、近くに有名なパスタの店があるんだよ。行かないか? ちょっと気になる」
「お前の気になるって自分のレシピに加えたいって意味の気になるだろ」
「まあ、そうだけど……。ほら、でもそこのパスタが作れるようになったら慎二もいつでも美味いパスタが食えるんだから文句ないだろ?」
 その言葉に唖然として一瞬固まってしまう。いつでも、なんてよく言う。こいつ、自分が今どれだけ責任重大なことを言ったか気がついているのだろうか。いないだろうな。だってそういう奴だ。
「まあ、いいけどさぁ……。その後どうすんの?」
 これは意地悪で言った言葉である。この男にそんな甲斐性なんてあるわけないと、わかっていて言った言葉だ。


 告白された。と分かったのは、目の前の男が困ったような顔でこちらをじっと見ていたからである。
 正気か? と思って、その次に体中が熱くなった。怒っているのだと思い(そうだとしたら、それは正当な怒りだと今でも思う)しかし、それがどうやら違うことにすぐ気がついた。
 頭が良すぎるというのも困り物で、そんなときでも僕は自分の気持ちを冷静に正しく判断することができてしまったのだ。
 その時、僕は確かに『嬉しかった』のだ。
「慎二、ごめん、その……変なこと、言って……。でもこれだけはわかってほしい。お前の性格上、同情だと思うかもしれないしそう思われても仕方ないタイミングだと思う。けど、それだけは絶対に違うから」
 衛宮はそう言って笑い、また「ごめん」と謝った。
 こいつは僕の性格をよくわかってる。ただしかし、同時にわかりすぎてるだろ。とも思った。それでも、悪い気はしなかった。
 選ばれた。という気持ちが全身を支配して、脳がしびれるようだった。
 こいつは、誰でもなく僕を選んだのだ。

 セイバーでも、遠坂でも、そして桜でもない。
 この僕を。

「いいよ」
 高揚感を感じたまま、そんな言葉が口から漏れ出た。
 一瞬の間を置いて、信じられない。というような顔がこちらを見つめる。それも、たまらなく気持ちが良かった。
「付き合ってやるよ」
 優位に立てた。ただそれだけの気持ちから始まった交際だった。


 衛宮は、僕の言葉の意味がわからないのか「え」と声を上げ、それからすぐに考え込むように唸る。
 こいつが僕のことで困っていると、気分が良かった。始まりは、たしかにそれだけだったはずだ。
「そうだな。俺の家にでも来るか……? あ! そうだ。なんなら泊まっていくか?」
「は……?」
 ウキウキと嬉しそうな言葉に、他意は無いように感じた。本当に、ただたくさん遊べて嬉しい! ぐらいにしか思っていないのだろう、こいつは。
 そうでないと、困る。
「お前、本当に」
それ、僕以外に言うなよ? と言いかけてやめる。嫉妬しているようで嫌だった。
 そんなこと無いのに、言った瞬間この男は言葉の端を拾って散々言うに決まっている。そういう男なのだ。ずるい奴なのだ。
「別に、いいよ……わかった。じゃあいつにする?」
 そういえば、衛宮の家の中に入るのは初めてな気がするな。そう思って一瞬、胸がざわついた。あいつらが普通に堂々と入っていったあの部屋に、ようやく入る事ができる。簡単にこいつは誘うが、もしかしたら、それは、とてつもないことなのではないだろうか。
 本当に、選ばれたのか。
 今まで舞台の端にいた僕が、無理やり舞台上に引きずり出されるような感覚に陥る。望んでいたことだったのに、少しだけ怖かった。何を今更。選ばれて、嬉しかったはずじゃないか。
「ううん、そうだな。今週の土曜……ってもう明後日か。どうだ……?」
藤ねえもいないし。という余計な一言に体が熱くなる。
 何を言っているんだこいつは。そう思い、熱くなっている自分も信じられなくなる。
 わかってるんだろうか。こいつは、今、だって。

「慎二……?」
 顔を覗き込まれて、また体が熱くなる。熱を出したときみたいに頭がぼんやりとした。
 選ばれた。そう思って喜んでいたが、こいつはこれからも僕を選び続けるのだろうか。
 体のやわい女ではなく、この僕を……?
 そうか。最初から、選択権は向こうにあった。選んだ。のではなく、選ばれた。と僕が思った、その瞬間から。
「いいよ別に……。わかった。土曜な」
はいはい。と流して強引に別れようとすると、腕に強い力を感じて後ろに倒れそうになる。
 は!? と思った瞬間、またあの困ったようなそれでいてじっとこちらから視線をそらさないあの顔が目に入った。
「その、わかってるよな、泊まる……ことを、了承したんだから、その」
 その、の後の言葉が出ないらしく、衛宮は唇を噛んでまた眉を下げた。
 こいつ、正気か……!? そう思い、ああ、あのときと一緒だ。と思う。
 ずるい。本当に、ずるい。
 わかってないような動作を続けていたくせに、不意にすべてわかっているみたいな顔をする。
 逃げ場をなくしておいて、僕に最後の選択肢を与える。
 ずるい。
 これじゃあやっぱり、選んだんじゃなくて、選ばれたのだし、選ばされたんじゃないか。
「お前のそういうとこ、本当嫌いだ!」
 そう言って教室から飛び出る。
 夕日はもうとっくに落ちきっていて、赤くなった顔を隠してはくれなかった。
 衛宮は、あの言葉をどう解釈したのかわからないが、教室から最後の一瞬、小さな笑い声が聞こえてきたのだった。






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