Disappear ― 士郎 ―

※UBWルートに近いIF時空
※薄暗い話なので注意です




 既に歩きなれた廊下の扉は全て閉まっている。大部屋の入り口は開け放たれているのだが、個室はしっかりと扉が閉まっているために不用意に入ることはできないし、してはいけない。
 扉の横にあるネームプレートを確認してから、二度、目の前の扉を軽く叩いた。
 中からの返事はない。
 もう一度、同じように二度叩く。
 しばしの沈黙。
 やはり、中からの返事はなかった。
 返事がなければ入ってしまっていいと言われているのだが、本人から直接そう言われたわけではない為、どうしても遠慮してしまう。
 どうしようかと扉の前で悩んでいると、通りかかった看護婦が話しかけてきた。
「間桐さんなら今はいるはずですよ。先程妹さんがお帰りになったばかりですから」
「あ……返事がなかったんで」
「寝ているのかもしれないですね。伝言でしたらお預かりしますよ?」
 笑顔の看護婦に、士郎は首を振って大丈夫だと言う。僅かに頭を下げて去っていく看護婦を見送り、もう一度だけの扉を叩き返事がないことを確認してから、そっと扉を開けた。
 きいっと小さな音を立てて扉が開く。
 入ってすぐにベッドが見える造りにはなっていないため、扉を閉めて少し歩を進めた。壁際には鏡と小さなテーブル、その横に冷蔵庫とテレビ台がある。その奥にベッドがあり、上半身を起こした慎二が開いた窓に顔を向け外を見ていた。
 起きていたのなら、ノックにも扉の開く音にも気づいていないわけではないだろうから、士郎が来たと知ってあえて外を見ているのだろう。
「慎二」
 呼びかけると僅かな間をおいて、慎二の顔が室内へと向けられる。
「また来たのかよ」
 呆れた声色と表情。帰れと言わんばかりだ。
 しかし、額面通りに受けとっては駄目なのだとは、この数日間で学んだ。ほんの少しの抑揚、目線、仕草、注意して見ていれば、取り繕った凛よりも数倍は分かりやすかった。
「ノート持って来いって言ったの慎二じゃないか」
「だからって毎日来る? せめて週に一回とかだろ」
 言われてみればその通りかもしれないが、昏睡から目覚めたと聞き、顔を見に来た時に『勉強遅れたくないからマメにもってこい』と言われたのでその通りにしているのだ。
 きっと頻度の感覚の誤差だろうし、来ないなら来ないで文句を言うのが、間桐慎二という少年だ。
「やることないからいいけどさ。ほら、ノート貸せよ」
 言われるままに、慎二に今日の授業分のノートを渡す。教科書も一緒に渡すと、付添い用に置いてある椅子を引き寄せ腰掛けた。
 慎二は何度か目を擦り、士郎のノートと教科書に集中し始める。暫くは真剣な横顔を見つめていたが、視界の端に移る花瓶に目が移った。
 シンプルな花瓶には名前の知らない花が飾られている。小さい水仙の花のように見えるが、いったい何の花なのだろう。誰が持ってきたのかという考えに、一瞬だけ慎二の取り巻きの女の子たちの姿が浮かぶ。だが彼女たちの姿を士郎は否定した。恐らく桜が買って持ってきたに違いない。
 桜の話によれば、彼女以外にこの病室に入れるのは士郎のみなのだという。例外として大河がいうが、彼女は寝ている時に一度だけきたらしく、桜が部屋に通したが、それ以降は桜を通して来ることを拒んでいるのだとは聞いた。
 それもあってか、大河は士郎に今日は慎二のところへ行くのかと聞いて来ることが多かった。聞かれた時は、行くのだと答えている。毎日顔を出しているとはさすがに言ってなかったが。
 凛も慎二の容態は気になっているようだが、見舞いに来ることはしない。士郎に確認して、そっけなく返事を返して来るのみである。彼女曰く、『だって嫌がるでしょ、あいつ』という事なので、間違えてはいなかった。
「テストっていつからだっけ?」
 声をかけられ、花瓶から慎二へと視線を戻す。慎二のほうは、相変わらずノートへ顔を向けたままだった。
「再来週からだけど、退院が間に合わないなら病院で受けてもいいって藤ねえが」
「来週には退院の予定だから間に合うって、藤村には言っておいてよ」
「退院決まったのか! よかった……」
 安堵の言葉に、すっと顔を上げて、士郎へと顔を向けてくる。
 僅かに目を細めているのは、機嫌が悪いからだろうか。すぐに顔を手元に戻し、目を伏せノートと教科書をまとめ士郎へを返してきた。
「長すぎたぐらいだよ」
 退屈だったと肩を竦め、立てかけた枕に身を預ける。
「ほんと、退屈だった」
 溜息と共に二度、言葉にし、士郎が入ってきたときと同じように窓の外へと顔を向けると、目を細めた。
 なんだろう。
 何か違和感がある。
「し――」
「そろそろ面会時間終わりです」
 恐らく別の部屋で言っているだろう言葉が、扉の向こうから聞こえてきた。時計を見れば確かに面会が終わる時間だ。
「そろそろ帰るな」
 立ち上がりつつ声をかけるが、こちらを見てはくれない。いったい何が彼の機嫌を損ねてしまったのか。思い当たることがないために苦笑しつつ、部屋の出口へと向かう。
 最後に一度だけ振り返ってみたが、慎二はやはり外を見てるままだった。
 扉を開けると、ちょうど士郎に時間だと伝えるためにやってきていた看護婦と鉢合わせてしまう。すみませんと互いに頭を下げていたために、士郎は部屋の中から聞こえてきていた声を聞き逃してしまった。
「なんだ、帰ったのか」
 という、慎二の声を。



 学期末のテストも終わり、後は春休みを待つばかりになった。
 凛は春休みを利用してロンドンへ行くらしい。本格的にロンドンへ行くのはまだ先だが、良い機会なので行ける時に顔を出しに行くと言っていた。
 士郎も卒業してから行くことになっているが、今回ついて行ったりすることはしない。春休みはコペンハーゲンでのバイトを多めに入れてはあるが、それ以外は特にこれといって予定のない休みになりそうだった。
 教室の窓から見える桜の木に、慎二を誘って花見に行くのはどうだろうかと思い描く。
 桜や大河とは行く約束をしているが、そこに慎二は入っていない。短いとはいえ休みが続くのだ。二人でゆっくりと過ごす日を一日作るのもいいかもしれない。
「まだ桜が咲くには早いだろう」
 ぼんやりと外を眺めていた士郎に、一成が空いてる席に腰掛けつつ声をかけてきた。
「もう少しじゃないか?」
 窓の外を指差せば、一成もそちらへと顔を向ける。一成は眼鏡をかけているが、桜の蕾は見えるようで、確かにとなずいた。
「例年よりも早いらしいからな。春休みにちょうど満開になりそうだ」
「今年は寺の花見はやらないんだろ? 藤ねえと桜と花見をする予定なんだけど一成も来ないか?」
 寺の花見といってもお寺の中でやるわけではない。柳洞寺の馴染みや冬木の有力者たちが集まる酒会のようなものだ。一応桜の下でやるので、花見と一成は言っているし、寺の息子の一人としていつも顔を出していた。
 今年はそれをやらないのだと耳に挟んだ。
 理由は、数週間前に冬木に起こったさまざまな事件のせいだ。
 誘われた一成は、まだ小さな蕾を数個付けているだけの桜から士郎へと移し、僅かに頬を緩ませた。寂しそうな微笑みに、士郎は断られるのを悟る。
「すまないな。せっかくの誘いだが、今年はやめておく」
「そうか……そうだな」
 理由は聞かない。
 理由は言わない。
 多少なりとも通じるから、言葉にする必要はない。
「来年、衛宮がロンドンに連れて行かれる前には共に行こう」
 小さな約束に士郎の顔が綻ぶ。
「連れてって、自分の意志だけど?」
「言い出したのはあの女だからな。連れて行かれるでも甘いぐらいだ。拉致か誘拐でもいいかもしれんな」
「言いすぎだって」
 先ほどのまでの空気が消えていく会話をしていると、女子の声が割り込んできた。
「えー! 嘘! 間桐くんって眼鏡してたの?」
「わ、ほんとだ。ちょっとかけてみて~」
 慎二が眼鏡を使っている。聞きなれない彼女達の言葉に、思わず対角線上の後ろにある慎二が座る席へと振り返った。
 慎二の姿は女子生徒に囲まれていて見えない。
「嫌だよ。好きじゃないんだこれ」
 適当にあしらわれても少女達は引かない。
 かけて欲しいと繰り返し、眼鏡をかけてもきっとかっこよさそうとか、似合いそうと言われて気を良くしたのか、どうやら眼鏡をかけたらしい。似合うという褒め言葉が、こちらまで聞こえてきた。
「ああ、間桐は授業中だけだが眼鏡をかけているようだな。事故の後遺症ではなければいいが……衛宮は何か聞いていないのか?」
 慎二へと向けられていた意識が、一成へと戻る。
「俺は何も聞いてないかな」
 それどころか、慎二が眼鏡を使用していることすら知らなかった。
 授業中は後ろを振り返ることはしないし、休み時間も頻繁に話すわけではないので、当然とはいえ気づかなかったうえに、慎二が復学して一週間は経っているのに、誰よりも気付くのが遅かったようだ。
 女子の影から慎二の姿が僅かに見えた。
 隙間から見える慎二は、洒落たフレームの眼鏡をかけて女子と話し続けている。士郎の視線に気づいたような素振りを見せたが、何かあるわけではなく、そのまま取り巻きと話し続けていた。



 一成に頼まれていた仕事を終わらし、鞄を取りに教室へと戻ると自分の席に慎二が座っているのが、開いたままの教室の扉から見えた。
 椅子ではなく机に座っているのだが、ぼんやりと目を細めて外を眺めている。
 ふっと、病室での一件を思い出す。
 ベッドの上で外を眺め、目を細める姿。
 あの時から慎二の視力は落ちていたのだ。
 違和感の正体はこれだったのか。あの時に気づくべきことに気づけなかった。
 家族以外に慎二の側に寄れることにうぬぼれて浮かれて、肝心な事を見落とした。
 なんて、情けない。
 驚かせないように、足音を立てて教室へはいるが、慎二の反応はない。
「こんな時間まで残ってどうしたんだ?」
 呼びかけると僅かな間をおいて、慎二の顔が教室内へと向けられる。
「衛宮こそなにしてんのさ?」
 僅かに顰められた顔と、けだるそうな声。
 既視感と違和感。
 足元が不確かな感覚。
 これは、無視してはいけない感触だ。
 足早に詰めより、慎二の肩を掴む。瞳を覗き込むように顔を近づけ、鋭く切り出した。
「慎二、なにを隠してるんだ?」




::続く::

きちゃ

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