いつぶりかの、静かで穏やかな夜だった。銃弾が飛び交い、戦車が道を削り荒立て、人々の怒号と悲鳴も聞こえない。爆撃で舞い上げられた砂塵で、星が覆い隠されてもいない夜空を見上げる。
ひと仕事を終えた達成感か、崩れた建物が目の端に入り込むたび浮かび上がる憂鬱感か、はたまた、あんまりに静かなので心がちょっとばかり繊細になっているのか。ただ漠然と、雄大に広がる夜景を眺めている気にはなれなかった。
町の外れ、砂漠の入り口一歩手前に設置したテントから出て、ウロウロと歩き適当な場所に座り込んでぼうっとする。冷えた地面がいっそ心地いい。
今夜はうまく眠れそうにない。眠りが浅いまま、妙な夢を見るのが嫌だった。夢見が悪いことを想像するだけで鬱々となるほどだ。
ここ最近はずっとそうなのだが、今日は特に思考が支離滅裂で、ぐちゃぐちゃの脳が修復不可能という情報だけ吐き出して、考えることを放棄してしまった。色々なことが頭に浮かんでは消え、消えては蘇って、形を変えて浮かび上がる。
ただ、根底、もしくは中心に位置する唯一の理想だけは変わらない。それに、ただ酷く安堵する。
正義の味方。
そうだ。それに近づきたくて、切嗣の夢を、オレの夢を叶えたくて、誰かを助けたくてここまで来た。長く続いた紛争だったけれど、やっとこの土地の争いは鎮まった。傭兵の一人として軍に加入し、鎮圧のために多くの人間を手にかけた。武装した人間。民間人。老人、大人、子供。命の区別なんてどこにも見えなかった。
自分が未熟なだけだ。何ひとつ成長しちゃいない。もう幾つになる…ガキの頃とは違う、知識や知恵、見聞、力だってそれなりに得たはずなのに、欠けるものは大きくなるばかりだ。
人の死に様というのは、何も焼け爛れるばかりではないこと。刃物で切り裂かれても、銃で撃ち抜かれても、人は脆く死ぬ。
自分だって、本当はあの大火災の中、灼熱と黒煙に巻かれて息絶えていたはずなのに。そうだとも、あそこが己の死に場所だったのだ。
死に場所というなら……ああ、あそこもだ。冬の日に学校で心臓を刺され、廊下で冷たくなったままだったかもしれないこと。あの瞬間から始まった日々を、思い返す。
今思い返せば、たったの2週間。けれど、得難い日々だった。なくてはならない、今の自分を形作る構成要件。
今はもう何もかも遠くなってしまった故郷の街並み、大切な人たち、微笑み、赤い宝石、魔術、聖杯、金色の髪──
「……疲れてるな、こりゃ」
独りで苦笑いを浮かべる。中途半端な郷愁を振り払うために、満点の夜空を仰ぎ見ようとして、
「う、わっ」
「お前、何してんの?」
上を向いた額を強めに弾かれて悶絶する。眉間近くで炸裂した衝撃は地味に痛い。
「…慎二。驚かさないでくれ……」
どすんと荒々しく隣に座ってきたのは間桐慎二その人だった。友人の青白い横顔をそっと士郎は伺い見た。
士郎はあまり感じていないが、夜の寒気はやはり響くのだろう。広げれば毛布がわりに、畳めば枕にも、羽織れば簡易なポンチョにでもなる薄手の布を肩にかけ、かたく胸の前で握りしめている。
「こんな所で体冷やして、具合でも悪くしたいの。お前に体を壊されたら、困るのは誰だと思ってるわけ」
「ああ、分かってる。体を壊すつもりなんて無いんだ……ただ、ちょっと目が冴えちまって。最近さ、変な夢を見るから…」
「分かってるならいいよ、もう」
それで一旦、二人の間に沈黙が満ちた。
慎二は怒っているわけではない。現に、語調は強くも荒らいものでも無く、ただプログラムを再確認するように冷静な物言いだった。
ビジネスパートナー。士郎と慎二の関係を簡単に言ってしまえばこうだろう。
戦闘行動をする大義名分を得るのも、武装し戦場に踏み込むことも、好き勝手にやれることではない。派兵稼業にもブランドと格付け、目安となる信頼が必要なのだ。斡旋された兵士がよもや敵側のスパイだったとか、未熟な行動で味方側に負担がかかった、ヘマをやらかして損害が、なんて洒落にならない。文字通り、命をかけたやり取りを生業としているのだから。
その点で言えば、衛宮士郎は巷で名の知れた存在なのだろう。最近は、軍に所属せず己の身ひとつで、あっちへ行っては過激な新興組織を潰し、こっちへ行っては圧政者の首をとり。
士郎に言わせてみれば、人を殺して回っているにすぎない。今日、終わった紛争もそうだ。連合軍に参加せず、最短で暴徒を鎮圧し、主導者を押さえ、その首をとる。傷つけ、殺すことが争いを治めるのに一番手っ取り早い方法だった。
エミヤシロウにとっては、他の方法なんてまどろっこしいとしか思えないほど見事に、鮮やかに、簡単に切れ味の良い剣を用意して、それを振るって誰かを傷つけることが出来るから、だから、
「衛宮、おい。えーみーや」
「…うん……?」
「ここでぼーっとするな。ほら、もう」
耳に声を注ぎ込まれ、ゆさゆさと肩を揺さぶられて士郎は生返事をした。
また、ぼんやりとしてしまったようだ、いかんいかん。
眠気はさっぱり無いのだけれど、意識をちゃんと今に集中させようと士郎が軽く頭を振ると、「犬みたいだな」と慎二が呟く。その声音が、さきほどより柔らかいものだったから士郎はほっとする。
友人を巻き込もうなんて思ってないのに、思ってなかったはずなのに、マネジメントを任せて早数年、士郎の活動に慎二はもはや欠かせない存在となっている。
ただ、どうにも繊細で臆病な気質の彼に、士郎が関わっている荒事の数々がまるで合っていないのもまた事実だ。ここ最近は、目に見えて憔悴した様子で仕事をこなしていた。
改めて、士郎は慎二の横顔をそっと伺う。密かによくよく観察すれば、青白い顔色に加えて目の隈にも気づいてしまった。座っている砂の冷たさが響くのか、噛みしめてる唇の色も悪い。目の色だってどこか空げだ。きっと寒くて眠いだろうに、静かに座り込んで動こうとしないのは、間違いなく自分が隣に居たままだからだ。
「……」
本当は、もう少しここに一人で居たかったが仕方ない。
「…慎二の言う通り、やっぱりここは冷えるな」
おもむろに士郎は立ち上がって、足腰の砂を払う。その様子をじっと見つめられていることには気づかないフリをした。
士郎が完全に立ち上がったのを確認してから、慎二もようやく腰を上げ始めた。
テントに戻る道を並んで歩く。夜の冷ややかさと同じ空気の無言が二人の間に落ちていた。
さっきまで中途半端な郷愁に浸っていたせいだろうか。お互い話すこともないまま歩む静かさに、士郎は間桐慎二という人間の昔をなんとなく思い出してしまう。
そもそも、こんな風に黙っていられる性質の男ではなかったはずだ。お喋り、という訳ではなかったけれど、こっちが黙っていればずっと彼の声が耳に届いてばかりだった気がする。
表情だってころころとよく動いていた。良好な顔立ちでもって学生の頃は女の子をよく侍らせていたのは、なかなか印象深い記憶だ。
俺に対しても、皮肉や嫌味を口癖にしてよく話しかけてくれてたし、表情だっていちいち調子づけて、語気を強くして……
…なんだか睨まれている目つきばかり思い出してしまって、士郎はうーんと首をひねる。
結構な年数の付き合いだというのに、思い返してみれば自分と慎二に一般的な友人関係の親しみを感じたことがあまり無いような、いやいやそれはちょっとどうなんだ、あれ、でもやっぱり少ないんじゃ…とますます唸ってしまう。
すまん、慎二…と士郎は心の中で詫びて、ああでも、と考え直す。
何だ、覚えているものだってあるじゃないかと。自分に向けられた、友人の誇らしげで機嫌よさげな笑った顔。しっかりと思い出せる。
士郎が中学校の文化祭で作った看板、それを見た時の彼が、
「なあ、衛宮」
静かな声に意識が引き戻される。
二人はとっくにテントの前に辿り着いていたのだ。士郎は面食らって慎二の呼びかけに何も応えられず、目線だけ彼の方に向けて、それで思わずはっとする。
ああ、と。ため息が出るような寂しさが、胸の奥で滲んだ。
さっきまで脳裏で思い描けていた慎二の笑みが霧散して、現実の慎二の顔に取って代わられる。
まだ頬がまろい、柔らかな髪をうねらせて、瞳を輝かせてこれ以上ないくらいに自慢げな笑みをした少年はもういない。
頬のまるみは削がれ、瞳の輝きはとうに失せた疲労の色濃い青年がいるだけだ。
「お前、さっきから余計なこと考えてるでしょ」
「…そうだな。少し、昔のことを思い出してた」
誤魔化しても意味がない。素直に士郎は頷いて見せた。
「むかし…」
「ああ、日本にいた時のこととか、いろいろ」
「…そんなモノに浸るようになったなら、お前も終わりだな」
「終わりって、なんだよそれ」
士郎が大袈裟な言葉に苦笑したのに対して、慎二は眉をそっとひそめた。
「故郷が恋しくなってきたんだろ。だからそういう…思い出に浸って間抜け面を晒すんだ。まあ、気持ちは分かるよ。誰だって、頭がおかしくなるさ。こんな事してたら、誰だって」
こんな、の所は吐き捨てるような物言いだった。慎二の感情が昂ってるのが傍目にもわかる。声の調子はまだ淡々としているが、しきりに腕をさすっているのは寒さだけが理由ではないだろう。
「俺は…別に」
どうってことない、というのは紛れもなく士郎の本心だった。
自分がしていることに大義は感じてないし、誇らしさを抱くことなど許されないけれど。それでも、まだ行かなければならない場所がある事だけは分かっているから、立ち止まれないのだ。
ただそれを言えば、目の前にいる友人の顔をまた歪ませてしまう事も知っているから、士郎は口を閉じた。
黙り込んだ士郎を見て、腕をさすっていた慎二の手がぎゅっと固まって爪を立てた。
力がこもって蒼白になった指が見てるだけでも痛々しくて、士郎は思わず手を伸ばしていた。弾かれることなく、士郎の指が慎二の皮膚にそっと触れる。
「…冷たいな」
想像した通りの温度の低さに、その通りの感想しか出てこない。
自分が外に出たせいで、慎二が体をこんなに冷やす羽目になったのだから申し訳ない。
爪を立てるのをやめさせるように指を強引に握り込んで、寒さを少しでも紛らわせるように擦ってみる。
「……」
何をしているんだろう、と士郎は心底呆れ、途方に暮れる思いだった。相変わらず慎二の手は固まって、冷え切ったままだ。
ここに居たままじゃ寒いだろう。もう、中に入ろう。勝手に行動してごめん。明日から、またすぐ忙しくなる、だから今日はゆっくり休んで…
そんなことを言おうとした。
けれど、ゆっくりと擦っていた指が不意に解かれ絡まってきた驚きによって、士郎が言おうとした言葉は少しも声にならなかった。
うってかわって、今度は士郎の方がびくりと固まる番となる。
絡まる指は士郎の困惑など意に介さず、指先の厚さを確かめるようにやわやわと揉み、爪を撫でていく。
さっきまで凍えていたくせに、触れ合っている指に今更のようにじわじわと体温が伝わって、互いの感覚の境界線がぼやけて溶けていく。熱は高い方から低い方へ。低い方から高い方へ。なめらかな皮膚がいっそう気持ちいい。
溶けそうな心地よさを実感した途端、カっと士郎の体の奥に火が灯った。ぶわりと肌が粟立って、苛立ちにも似た衝動が燻り始める。
細長いつくりをした慎二の指が、ささくれた士郎の皮膚をいたずらに刺激するようになぞり上げていく。
ついにはお互いの指が深く絡まって握り合う形になり、繊細なつくりの爪が離れがたいという風に士郎の手の甲に爪が立てられた
「よせ」
悪戯を咎めるしては低すぎる声が士郎の口から漏れた。
「お前は…本当に熱いな」
「慎二」
「僕はいつも思うよ。お前の体は熱くて、本当に熱すぎて、その熱でいつか殺されるんじゃないかって」
酷くぼんやりとした声だった。
眠そうな、熱に浮かされたような響きに士郎の頭が煮え立つ。耐えるように口の端をいちど強く噛みしめ、目を瞑った。
「慎二、今日はもう休もう」
「…いつもみたいに、していいんだぜ?」
「いや、いい。いいから、中に入ろう」
「自惚れるなよ、別にお前のために言ってるんじゃない。僕もお前も同じさ。何より自分が気持ちよくなりたいから、したい事をしてるだけなんだよ」
「いや…駄目だ。今日は、もう」
どうして、なあ、と縋るように囁かれて、士郎は緩く頭を振った。
「…まだ、においが残ってる」
今日まで続いた戦場の名残が。血のにおい、人肉が焦げたにおい、鉄錆の、火薬、土煙、土煙、戦車のガソリン…挙げればキリがない。
今、彼の指が絡み付いてる手だって、人を直接にも間接にも殺したものだ。
その手でもって、生者の熱を感じることが躊躇われる。ましてや、快感を得るなんてもってのほかで、許されざることだ。慎二の体を暴いて、自分が背負うべき業が彼にうつるかもしれない事も嫌だった。疲れ果てている体に必要以上に無理をさせて、苦しい思いをさせたくない。だから今日は駄目なのだ、今日だけは、もう、
俯いていると、ふいに絡まっていた指が解かれて、とうとう離れた。熱が遠ざかって消えていく。
心の底からホッとしたその瞬間、体当たりでも喰らわせるような勢いで慎二が士郎の体に腕を回してきた。
ぐいと背伸びをして、慎二は士郎の首筋に顔を埋める。あたたかく湿り気を帯びた唇が首の皮膚に触れた途端、一度はうすれた欲がぶわりと膨らむのを感じて士郎は息をつめた。
「ん…」
耳のすぐ近くで聞こえる、あえやかな呼気にいよいよ思考がおかしくなる。
スウと鼻で深く息を吸いこみ、吐かれた。熱のこもった慎二のか細い吐息が首筋にかかって、士郎の肌がぞわりと粟立つ。
抱きしめられている、その体温と存在が無性に恋しくて仕方なくなる。ぶり返した衝動は最早抑えがたく、思わず掻き抱いた体の細さにいっそう愛しさが募る。
「衛宮」
名前を呼ばれたことに何故だか苛ついて、黙らせるように唇を重ねた。何度も角度を変え、舌をねじ込み、互いの息を奪うかのように深く深く絡め合う。
深く口づけをしたまま、士郎が慎二の体を持ち上げるようにしてテントの中へもつれ込み、就寝のため用意していた寝袋の上に倒れ込んだ。キスを続けながら、互いに下着を緩めて脱がしていく。
「っんぁ…あ…ん」
「ふ…む……」
じゅる、と混じり合った唾液を吸い、飲み込んで口を離す。
さっきまでの寒さが嘘のように、身体の芯から指先までかっかと燃えているようだった。
近すぎてズレていたピントがようやく合った。士郎の顔を、目を、改めて見たことで慎二の背筋に怯えのような震えが走った。暗いテントの中で、こちらを見つめる瞳がギラギラと鈍く濡れているのが分かる。過ぎた熱と震えを誤魔化すように、ゆっくりと瞬きをした。
ベルトを緩め、取り出された士郎のペニスは既にゆるく勃ちあがっている。慎二もキスの合間に脱ぎかけた、足に引っかかっているズボンと下着を蹴飛ばすようにして外した。士郎の勃ち始めているそれを慎二はぼうっと見つめ、ふと思い出して声をかける。
「…ゴム、を…」
「ああ」
いつの間に手にとっていたのか。端的に士郎は頷いて、潤滑剤つきのそれを手早く自分のモノに被せ、数回扱いて完全に勃ち上がらせた。それを不満そうに慎二は眺める。
「それくらい、やってやるのに」
その言葉に、士郎は曖昧に笑うだけだった。
改めて、士郎の体が慎二の上に伸し掛かる。慎二の太ももに指をしずめ、持ち上げる。晒されたひそやかな秘部に先端を押し当てた。
これからくるであろう多少の痛みを想像して、備えるように慎二は目を閉じた。
「慣らしていないから…お前に無理はさせない」
「……」
「一回。一回だけだ」
押し殺したような、くぐもった声だった。
慎二は士郎がこっちを見ていることを期待して瞑っていた目を開いたが、士郎の視線は慎二を避けるように別の一点に注がれていた。
そのことに、酷い虚しさを覚えてどうしようもなくなる。
「……分かった」
静かに頷いたその瞬間、みちりと狭い穴を押し上げて先端が入り込んできた。
・・・・・・・
吐精の気怠さがあるだろうに、ずるりと慎二から性器を引き抜くなりさっさと士郎は後始末を始めた。
「濡れタオル作ってくるから、待っててくれ」
引っ張り出したタオルを手に、外に出て行った士郎を見送ることしか出来なかった。
よくやるもんだ、とぐったり横たわったまま、他人事のように慎二は思う。ゴムをしていたからそこまで面倒ではないけれど、もう少しダラダラしていたって誰も文句は言わないのに。
(…本当に一回だけとは思わなかったな)
まだ体の熱を持て余してるのは自分だけではないだろう。士郎も、まだまだ身に燻るモノがあるのは間違いないのに、律儀にあの宣言ともいえない宣言を守っている。
ああ…もっと自分に溺れてくれると思ったのに、アテが外れた。もう何度か体を重ねているけれど、やはり男の体はそこまでなのかもしれない、と慎二はため息をついた。
行為自体は優しくて、あまりにも優しすぎてもどかしいから、途中で慎二の方から「もっと激しくしてくれ」なんてこっ恥ずかしい事を口走る羽目になったし、本当に散々だった。
引っかかる痛みに慎二が呻くたび、唇を合わせてきたり、手を握ったり、上着に手を入れて肌を優しく撫でられた。その労りが、慎二には居た堪れないのだ。
一丁前に性欲はあるのだから、吐き出すもの出せば少しは軽くなるものもあるんじゃないかと思ったのだが、そう単純なことばかりではないのだ。分かってはいるけれど、他の上手いやり方なんて思いつく訳がない。
自分以外の誰かのために健気に尽くすなんて、まったくもって柄じゃない。
それを出来る誰かが、慎二の代わりに士郎のそばに居ればいいのに。今はもう誰もいないから、仕方なく慎二が士郎の隣にいるだけのことだった。
「どいつもこいつも、使えない」
唾を吐くようなつもりで出した声は、存外覇気のないものだった。あ、眠いんだな僕、と自覚し途端にどっと眠気が押し寄せてきた。
下はまだ汗で汚れているし、何も履いていないままだけれど、士郎が戻ってくれば至れり尽くせりでどうにかしてくれるだろうと慎二は思考を放棄した。あの温かい手がまた自分の肌に触れる、それをイメージしただけで居心地が悪くて胸が軋むけれど。
明日になったら言おう。
一度、休暇を取らないか、と。僕たち年中無休で働いてるんだ。ちょっとくらいの休みは許されて然るべきさ。
それを利用して日本に行こう、僕も久々に妹の顔を見たいんだ。僕がいなくて、マヌケなりにちゃんと生きているのか確かめないと。お前もあの姉貴分に数年ぶりにその面を見せればいい。きっと面白いことになるから、それを見て笑ってやる。
それが駄目なら、イギリスでも構わない。まだ僕は行ったことがないから、お前が案内してくれればガイドの金が浮く。ほら、ロンドンの時計塔なんか、観光にはぴったりじゃないか。
そんなことを話しても、きっとアイツは何ひとつ頷かないだろうけど。
分かりきったことに思考を割いてる憂鬱さに、またひとつ溜息がこぼれた。
ペンデラックス
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